つっこみ力 - パオロ・マッツァリーノ

旅行から帰ってきました。移動時間にちょっと時間を持て余したので、反社会学講座で有名なパオロ・マッツァリーノ 氏のつっこみ力を読んでみました。

ブログやアマゾンのレビューでは比較的好印象な内容が多いようですが、僕個人としては微妙という感じ。


つっこみ力 ちくま新書 645

つっこみ力 ちくま新書 645
パオロ・マッツァリーノ (著)
¥ 735 (税込)


わかりやすいことはいいことである

本書で言いたいことはズバリ

わかりやすい方がいいじゃん - p19

ということです。この本でいうつっこみとは、相手のボケに的確にわかりやすいコメントを入れることという風になっています。確かに世の中小難しいことばっかり言って、その実大したことをやっていない人が多いのは事実だと思います。そういう人にはぜひこの「わかりやすくする」力をつけて実践してほしいものです。

さらには「わかりやすいことは時として正しいことより重要だ」ということもおっしゃっています。

わかりやすいことと正しいことは違う

「わかりやすさ」と「正しさ」を比較して、「わかりやすさ」が重要だということですが、僕としては違うと思います。「わかりやすい話」というのは多くの人が理解できますが、必ずしも正確に伝わるわけではない、「正しい話」というのは多くの人は理解できないかもしれないが、伝わった人には正確に理解される、という違いで、そこには優劣はないと思います。もちろん「わかりやすくて正しい」のが最も良いですがね。

物理学やなんかで、「わかりやすい」アバウトな話だけですすめられても困りますしね。

わかりやすさと学者批判

僕自身この本で出てくる「学者」に近い立場にいるせいか、この人の学者批判には強く批判したい思いがあります。

そんなわけで、学問なんてのは誰にでもできるものなんだ、イバるほどのものじゃないよ、というのが私の主張なんですが、そのためには、わかりやすく説明しなきゃいけません。 - p27

まず最初に本当の学者と話をしたことがあるのか、と。本当の学者と話をしたこともないくせに学者批判をする人がよくいますが、いわゆる「学者」のイメージと大きくかけ離れた人もたくさんいます。自分の研究を世間の人に知ってもらうために、非常にわかりやすく解説されている方もたくさんいます。

そもそも、学問が簡単にできるというのなら、それを「わかりやすく」説明してほしいものです。

ある社会学者が居酒屋に行ったところ、居酒屋のご主人に、先生はどんな研究をなさってるんですか?とたずねられたんですね。そこでいろいろ説明すると、ご主人に「社会学ってのは、雑学なんですね」といわれて、学者先生、がっかりしたそうです。 - p22

小難しい話ばかりする学者先生も僕は批判されたもんじゃないと思います。ここで載っているように、簡単に説明すると、「なーんだ、大したことはやっていないんだな」となり、「自分でもできそうじゃないか、何でこんなやつに大事な税金を使ってるんだ」となるわけです(実際にあります)。

「わかりやすさ」と「簡単さ」というのは全く別のものです。しかし、多くの一般の人は「わかりやすさ」=「簡単さ」と考えている節があります。そういう状況では、多少「わかりにくく」説明してしまうのもしょうがないのではないでしょうか。

つっこみをしながら読む本である

後半のデータが出てくるあたりは、わかりやすさのためには多少「正しさ」は犠牲になってもいいと言っている割には、その正しさの検証になっていたり、そのくせ、自分の議論ではかなり理論が飛んでいたり、とデータ批判の本としてはちょっと微妙なできな気がします。

しかし、本書のテーマである「つっこみ」の実践練習をしつつ、かるーく読むにはいい本かもしれません。

あと最後に、本書はかなり横道にずれます。実験作としてはありかもしれませんし、書く方は楽なのかもしれませんが、正直読みづらかった。。。