オタクコミュニスト超絶マンガ評論 - 紙屋 高雪

buzz-pr.comでいただきました。献本感謝。

まず、この本は漫画評の形をした社会論です。漫画についても批評していますが、この本での漫画評の本質は、漫画を通して社会を語る、ということ。それと、タイトルにもあるとおりコミュニスト共産主義者)的な考え方が多分に入っています。そういうものに生理的嫌悪を覚えている人には受け入れられにくいかも。ただ、本書の場合は、著者がコミュニストであるというのがいい感じのスパイスになっています。




オタクコミュニスト超絶マンガ評論


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書評/サブカルチャー





あらすじ
超絶なオタクである著者がそのオタク的漫画知識をもとに、漫画のおもしろさ、さらにはその漫画の背景にある社会・政治にまで踏み込んで書いた書評。
書評の内容としては、「オタク、恋愛とセックス、仕事、結婚・子育て、実家・学校時代、戦争と政治」。それぞれ、その漫画の評価だけにとどまらず、その漫画の作者やさらには読者がどのような人物か、漫画が描かれた背景はどうなっているのか、他の漫画との兼ね合いは?など、かなり深い漫画評が展開されている。

社会を映し出す鏡としての漫画

この本を通じての著者の主張は、

漫画を社会意識の反映として語りたいという欲望、そういう視線がそこには垣間見える。これは漫画を「使って」、まるで漫画を道具のようにして自分や社会を語るという快楽である。そこでは漫画そのものではなく、あくまで漫画は「手段」だ。-P IX

漫画は社会意識の反映である(ただし鏡のような単純な反映ではないが)。そのことを暴き、引きずり出し、語り合う快楽というものが漫画評論に必要ではないのか、とぼくは常々思っている。コミュニスト的にいえばそれは現代資本主義社会の反映なのであり、そこにメスを入れるような「政治」の視点、「政治」の言葉が必要になってくるはずである。 - P X

ということである。確かに本書の書評は、そういう視点で漫画を見てみるのも面白いな、と思える内容である。漫画本、特に売れている本というのは、売れるなりの理由があるはずである。その売れる理由の一つに社会的背景があるというのはうなずける。たとえ、ただ面白いだけの本であっても、その面白いだけの本が売れる社会的背景があるはずだ。

しかし気になるのは、著者が漫画、ひいては社会に期待しすぎている点。漫画は社会意識を反映するのは同意できても、それだけで漫画ができているわけではない。社会についても、多様な視点が混ざりあったものが社会であるため、単純に一つの視点から語ることは難しい。そういう点が若干抜け落ちている気がする。もちろん、これはあくまで一つの視点である、ということを理解できる人には、非常に面白い、かつ深い視点であると思う。

第一、一般化するにはマンガの選書がかなり偏ってないか?(笑)

著者の圧倒的知識による書評が秀逸

本書の凄い点は、この書評の間からもれだす、著者の漫画に対する圧倒的知識である。それぞれの書評をどの程度推敲して書いているのかはわからないが、一つの漫画の書評を書くだけでも、良くこれだけ他の漫画の知識やその違いがどんどん出てくるな、と思う。実際、書評を書く上ではこの「比較する」という視点はかなり大事なのだが、それができるようになるには圧倒的な読書量が必要なはずである。

僕にはまだまだまだまだたどり着けない境地です。